「また、天に目を上げて、
日、月、星の天の万象を見るとき、
魅せられてそれらを拝み、
それらに仕えないようにしなさい。
それらのものは、あなたの神、主が全天下の国々の民に
分け与えられたものである。」
申命記4章19節
日本では7月7日と言えば,七夕ーですね。
毎年、各地で盛大な祭りが行われています。
確かに短冊に願い事を書いて、
星に祈るなんてロマンティックで、
普段は信仰心の無い若者たちも心が動きますよね。
でも、聖書は星だけでなく、
月、太陽などを拝む行為を一切禁じています。
そう聞くと、
「えーっ!なんて心の狭い神さまなの。
別に、何に願い事をしようと勝手でしょ!」
そう反発したくなる方が多いと思います。
私も聖書の真理に出会う前はそうでしたから…。
でも、どんな時でもイエスさまは愛であり、
私たちに最善のみをなさる方です。
では、何故そんなに厳しい命令を
私たちに与えるのでしょうか?
「祈り」とは、自分では実現不可能なことを
可能にして欲しい時に心の中に台頭してくる言葉です。
ですから、その祈りは聞かれなくては
悲しいし意味がないですよね。
聖書は月、星、太陽などの天体は
創造の初めにイエスさまが造られた
「神の作品」(被造物)だと語ります。
いくらすばらしい作品だからといって
その作品には人の祈りに応える力なんてありません。
人々が魅せられるほどすばらしい作品なら、
それをお造りになった制作者(イエスさま)に
力があるのです。
子どもたちに夢を与えることは良い事ですが、
本当に良い事はその夢を叶えて
あげる事ではないでしょうか。
最後に、聖書はこう語ります。
「地を造られた主、それを形造って確立させた主、
その名は主である方がこう仰せられる。
わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、
あなたの知らない、理解を超えた大いなる事を、
あなたにに告げよう。」
エレミヤ書33章2節~3節
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、
感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を
神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いを
キリスト・イエスにあって守ってくれます。」
ピリピ人への手紙4章6節~7節
主の祝福を祈ります。アーメン。