ハレルヤ!こんにちは!
新年度が始まり、
すっかり春となったこの季節、
今年の受難週の歩みの中にありま
受難週は、
その痛みと苦しみを覚える1
キリスト教会のイベントといえば、
しかし、
実は、イエス・
この地上にお生まれになった目的を
知ってはじめて、
昨年2024年のクリスマスキャロルの様子が
まだ未公開でありま
このタイミングで改めて振り返り、
イエス・
※クリスマスキャロルのプログラムを、
文章化するにあたり加筆・
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「わたしとあなた、私とあなた」
昨年の11月のある日のことです。
素早く反応してそれを拾い
私たちは慌てて近づいて、
「
とキャップを受け取ったのですが…
するとその男性が
「あの、これもらってくれませんか?」
私の口から出た言葉は
「え?
もらう理由がまったく思いつかない
むしろ、お礼として何かを手渡すとしたら
私たちの方なのに。
若干の恐怖を覚えたのが正直なところです。
「
と言った男性の腕の中には、
他にも数個抱かれていましたので
素直な親切心と理解して
「ありがとうございます」
が、風の吹く中、
この体験は静かに私の心に残り続け、
一番肝心なのは、
「
そして、神様を知ることこそが、
一番喜ばれるお祝いの仕方
思い至らせられたのでした。
わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。
全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。
ーホセア書6章6節ー
では、
知ることができるのでしょう。
今はまだ目に見ることのできない神です。
私たちは、
この聖書という書物は、
旧約聖書と新約聖書、
壮大な「契約書」
契約書というのは、
「○○(以下「甲」という。)と△△(
以下のとおり契約を締結する。」
「誰と誰が」
はっきりさせることが重要だからです。
ご自身を指してはっきりと「わたし」
そして「あなた」と、
呼び掛けておられます。
この「あなた」
私はあなたのみことばを見つけ出し、
それを食べました。
あなたのみことばは、私にとって
楽しみとなり、心の喜びとなりました。
万軍の神、主よ。
私にはあなたの名がつけられているからです。
ーエレミヤ書15章16節ー
聖書は日本語訳の多くの場合、
神の一人称をひらがなで「わたし」
人間の一人称を漢字で
「私(わたくし)」
神様が、「わたし」から「あなた」
向けて語られる言葉に耳を傾けましょう。
神様のそのはっきりとした輪郭が、
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強め、あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを守る。
ーイザヤ書41章10節ー
見よ。わたしは手のひらに
あなたを刻んだ。
あなたの城壁は、
いつもわたしの前にある。
ーイザヤ書49章16節ー
あなたがたがわたしを
選んだのではありません。
わたしがあなたがたを選び、
あなたがたを任命したのです。
それは、あなたがたが行って実を結び、
その あなたがたの実が残るためであり、
また、あなたがたが
わたしの名によって父に求めるものは何でも、
父があなたがたにお与えになるためです。
ーヨハネの福音書15章16節 ー
わたし、このわたしは、
わたし自身のために
あなたのそむきの罪をぬぐい去り、
もうあなたの罪を思い出さない。
ーイザヤ書43章25節ー
見よ。わたしは、世の終わりまで、
いつも、あなたがたとともにいます。
ーマタイの福音書28章20節ー
わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
ーイザヤ書43章4節ー
神様が私たち人間と
結ぼうとしておられる契約は、
愛の契約です。
「
あなたは彼/彼女を支え、
聖書は、まず神様が、
この地上にお生まれになったと、
そして、その愛を知ってほしい、
たとい、 死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
ー詩篇23篇4節ー
あなたは私に、
いのちの道を 知らせてくださいます。
あなたの御前には喜びが満ち
あなたの右には、 楽しみがとこしえにあります。
ー詩篇16篇11節ー
私は主を愛する。
主は私の声、
私の願いを聞いてくださるから。
主は、私に耳を傾けられるので、
私は生きるかぎり
主を呼び求めよう。
ー詩篇116篇1~2節ー
主よ。まことにあなたは いつくしみ深く、
赦しに富み、
あなたを 呼び求めるすべての者に、
恵み豊かであられます。
ー詩篇85篇5節ー
「見よ、処女がみごもっている。
そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
(訳すと、神は私たちとともにおられる、
という意味である。)
ーマタイの福音書1章23節ー
主よ。あなたはいっさいことをご存じです。
あなたは、私があなたを愛することを
知っておいでになります。
ーヨハネの福音書21章17節ー
聖書は、難解で抽象的、
「わたし」
「あなた」
愛のメッセージなのです。
お一人おひとりでありますように。
神が人を愛し、
自ら人に近づき、共に住まわれた。
それはまるで、
舞踏会で見初めた町娘を探して、
彷彿とさせますね。
これにて
「
幸せに暮らしましたとさ」
なんと、
莫大な借金があったので、
聖書は一貫して神の愛を語ると同時に、
最初の人アダムが、
自己を中心として生きる者となりました。
その結果、人類に死が入り込み、
「罪に汚れ滅びゆく人間」、
大きな壁ができてしまったので
そういうわけで、
ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、
こうして死が全人類に広がったのと同様に、
ーローマ人への手紙5章12節ー
見つけ出した町娘の境遇を知った
王子はどうしたでしょう。
肩代わりすると宣言したのです。
イエス・
十字架で死んでくださったイ
その贖いにより、
すべて帳消しとなり、
至る道が回復されました。
謙虚な町娘だとしたら、
しかし、王子は言います。
「
愛こそが、
論理立てることができるのです。
お生まれになったその目的は、
私たちがまだ弱かったとき、
キリストは定められた時に、
死ぬ人はほとんどありあせん。
進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
死んでくださったことにより、
を明らかにしておられます。
物語がハッピーエンドで終わるかどうかは、
そして、
次週の復活祭です。
イエス・キリストの十字架にあり、
イエス・キリストの復活にあります。
その意味を知って、
喜びを共に分かち合いましょう。
教会は、イエスさまは、
あなたを待っています。