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2025.4.24 活動ブログ 「2025年 復活感謝特別礼拝報告」

イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。
いのちです。

わたしを信じる者は、
死んでも生きるのです。

また、生きていてわたしを信じる者は、
決して死ぬことがありません。
このことを信じますか。」
ーヨハネの福音書11章25~26節ー

ハレルヤ!
私たちの主、イエス・キリストの復活、
死からのよみがえりを覚え、
心からおめでとうございます!

神はそのひとり子を世に遣わし、
その方によって
私たちにいのちを
得させてくださいました。
それによって神の愛が
私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、
神が私たちを愛し、
私たちの罪のために、
宥めのささげ物としての
御子を遣わされました。
ここに愛があるのです。
ーヨハネの手紙第一4章9~10節ー

イエスさまの御降誕の目的、
そして十字架の苦しみと死の意味を考えながら、
私たちは受難週の1週間を歩みました。
そして、20日に迎えたのが、
待ちに待った復活の朝です。

全世界の教会同様、
私たちの教会でも、
復活感謝特別礼拝をお捧げし、
復活祭を祝う恵みをいただきました。

イエスさまが、
なぜ死ななければならなかったのか。
それは、私たちの罪の負債を
完済するだけでなく、

ご自身のいのちを私たちにも
与えてくださるためでした。

そのことを、イエスさまご自身がわかりやすく、
次のように話してくださっています。

まことに、まことに、
あなたがたに言います。
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、
一粒のままです。
しかし死ぬなら、豊かな実を結びます。
ーヨハネの福音書12章24節ー

植物の種や球根は、
とても大切なものです。

しかし、大切だからと箱に入れて、
戸棚にしまいこんでしまっては、
なんの意味もなしません。
一度手放し、土の中に見えなくされて、
しばらくのあいだ忍耐して待った結果、
喜びの収穫を見ることができます。
種や球根の真の価値を知っている人というのは、
そこに秘められたいのちの希望に
目を留めている人です。

十字架というのは、
最も苦しく恥ずかしい
見せしめのための処刑台です。

本来、血にまみれて死の匂いを放つ
残酷な十字架が、

なぜ今、キリスト教会のしるしとなっているのか。
それは、十字架上の死で終わらない、
イエスさまの3日目の復活があったからです。
イエスさまは、死からよみがえられるために、
自らそのいのちをお捨てになりました。
今、私たちは十字架を見上げるとき、
そこに死ではなく、
イエスさまの死を通して開かれた
永遠のいのちの道を見出すのです

復活祭は、
キリスト教会で一番喜びに溢れた
お祝いであり、

教会を教会たらしめているお祝いです。
イエス・キリストの復活を
信じる者の集まりが教会であり、

永遠のいのちの希望を語り伝えることが
「復活の証人」であるクリスチャンの使命だからです。

今年の復活感謝特別礼拝にも、
「まだ信じられないんだけど…」という方や、
教会に初めて誘われたという方が
参加してくださいました。

私たちの教会が、まだイエスさまと
出会っていない方々に対して、

扉を開くことができていることを、
非常に嬉しく思います。
他でもなく、イエスさまご自身がその方々の来会を
喜んでくださっておられることが明白でした。
(なぜかというと、礼拝メッセージがいつもより
30分も長かったからです。笑)

礼拝後は、お弁当をみんなで食べながら、
配られるお菓子をいただきながら、
楽しい交わりの時間をいただきました。
たまご型のかわいらしいお菓子が何種類もあって、
子どもたちが大喜びしている姿を
ほほえましく眺めながら、

私の子どもの頃は復活祭のお土産には
『ゆでたまご』しかなかったなあ」と、
時代の流れを感じたりもしました。

午後の工作は、今回は「球根」をテーマにした、
あっと驚く変わり絵をみんなで作りました。
色の選択や、液の入れすぎで、
絵の変化をうまく出すのが難しかったのですが…
失敗もみんなで笑いに変えて、
今度はもっとこうしたらいいね、
なんて話しをしているのが、
とってもあったかい時間でした。

クリスマスは、4週間前からアドベントが始まり、
さらにイブにはキャロルがあり、
当日を過ぎてもさらに年明けの6日まで
その余韻が残り…大変長くお祝いされます。
もっと大事だという復活祭が
なぜ1日で終わってしまうのか、

と疑問に思う方もあるかもしれません
(もっとも、カトリック教会などでは
受難節という期間がありますが)。

復活祭以外の日曜日も、
すべての日曜日において、
クリスチャンは教会に集まります。
それは、日曜日の朝に「おはよう」と復活なさった、
主イエスさまとお会いするためです。
ですから、毎週の日曜日が、
私たちにとっては復活祭であり、
喜びと希望にあふれた特別な日なのです。
クリスマスや復活祭の日だけでなく、
教会の扉は毎週日曜日いつでも、
あなたに対して開かれています。

御使いたちは女たちに言った。
「恐れてはいけません。

あなたがたが十字架につけられた
イエスを捜しているのを、私は知っています。
ここにはおられません。
前から言っておられたように、
よみがえられたからです。」
ーマタイの福音書28章5~6節ー

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