2026.2.22 活動ブログ 「いつまでも残るもの」

ハレルヤ!
このたび、私たちは、
一人の愛する兄弟を
天に見送りました。

教会として初めて一から準備を進めて、
先日、無事に「お別れ会」を
執り行うことができましたことを、
すべて主イエスさまに感謝します。

1月末日、88歳で天に召されたT兄。
いわゆる「ヤクザ」の最高顧問の
役職についていた経歴を持つ、
異色のおじいちゃんで
(キリスト教会内では、
元ヤクザは決して珍しくはないのですが…)、
あまりにもキャラの濃い唯一無二の存在でした。

人の良いところを見つけて
ほめるのがとても上手で、
周囲の人誰からも好かれる人でした。
嘘をつかず、
いつも気持ちが幼子のようにまっすぐで、
老若男女誰に対しても
敬意を持って平等に接し、
どんな人をも受け入れる
度量の大きい人でした。

また、誰よりも、
自分自身の過去の罪に苦しんでいる人でした。
それは、この世界における犯罪という
意味での罪もしかり、
それ以上に、人では決して裁くことのできない
精神的な罪の重荷を背負って、
苦しんでいる人でした。

そんなT兄が救われたのは、
ただ主イエス・キリストの十字架によりました。
だから彼は、2017年に、
79歳で洗礼を受けて以来、
いつも胸に大きな十字架の
ネックレスをぶらさげて、
この洋光台の地を歩いていました。

クリスチャンになったからといって、
毎週欠かさず日曜礼拝に
出席できていた…わけではなく、
腰の痛みや体の不具合で、
来ることのできない日のほうが多くありました。

でも、彼がしっかりと
イエスさまにつながっていたことを、
私たちはその人生の終わり方を
通して見せていただきました。
長年の体調不良が
血液のがんによるものであると発覚し、
いよいよ医者から、
打つ手がなくなったと
余命宣告を受けたとき、
死に直面しても彼の心は
まったく動じることはありませんでした。

そして、本人の希望と、
息子さんの必死の願いと、
また私たち教会全体の祈りがかなって、
自宅での療養生活を送ることができた
最後の2か月間、
彼はほぼ毎日教会に電話を掛けて、
牧師先生と共に祈りながら
日々を過ごしました。
自力で携帯を持つことができなくなっても、
声が出せなくなっても、
T兄は意思表示ができる限り、
教会に電話を掛けることを
息子さんに頼み続けました。

私たちの教会が、
毎週の主日礼拝で交読する聖書箇所は、
長年ずっと変わらず
「コリント人への手紙第一13章」です。
その最後の節には、
いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
とあります。

食べる物を口にできなくなり、
起き上がることができなくなり…
自分では何をすることもできなくなった時、
何よりも祈ることを願い求め続けた
T兄の姿を通して、
私たちがはっきりと知らされたのは、
肉体がどれだけ衰えても
(むしろ衰えれば衰えるほど)、
「信仰」と「希望」は
むしろ強められるのだということでした。

信仰とは、神の実在への確信です。
そして、人間の究極的かつ最終的な希望はただ一つ、
永遠のいのちと復活です。

T兄は、美しい冬晴れの朝に、
この地上での働きを終え、
古びた肉の衣を脱ぎ捨てて、
御使いたちによって、
パラダイスに導かれていきました。
そこは、痛み、悲しみ、苦しみのない
まったき安息の場所です。
そこでT兄は今、主イエスさまの御国の完成と、
私たちとの再会の時を待っていてくれています。

T兄の旅立ちの瞬間を
見届けることができたのは、
彼が最も愛し、
そして彼を最も愛した息子さんでした。
愛した、と書きましたが、
正しくは「彼が最も愛する息子」
そして「彼を最も愛する息子」です。
なぜなら、T兄は、
目に見えなくなった今も生きており、
生きている彼との愛の関係は、
これからも決して絶えることがないからです。

それは、私たち教会メンバー全員に
とっても同じことです。
永遠のいのちと復活の希望が、
私ちにとって本当に嬉しいのは、
その時が来たら、
愛するT兄とまた再会することができるからです。
そしてその時、私たちはついに、
私たちをいのちがけで
愛してくださったイエスさまと、
直接顔と顔を合わせて会うことができるのです。

先にパラダイスで休んでいるT兄と、
また私たちが共に待ち望んでいる天の御国とは、
ただイエスさまの愛が満ちあふれる世界です。

その最大の喜びを、
みなで一緒に祝うことができるよう、
私たちもT兄と同じように、
天に続く道を、
またここから一歩一歩
確かに進んでまいりましょう!

〜いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。〜

T兄、また会う日まで!

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